大分市役所の裏手、府内城付近には荷揚町という地名があります。
昔、府内城は海に面した城で荷揚町は船が荷を降ろす場所だったので荷降町と呼ばれていたそうです。
それが慶長4年(1599)当時の藩主 福原直高公が「降ろす」という語感を嫌ったためか「揚げる」に変えて荷揚町と町名を変更したのが荷揚町の始まりだそうです。
現在は埋め立てが進み、船の荷降ろしに使われた港としての面影は有りませんが、町名はこの土地の役割を今でも語りかけています。
(参考;角川地名大辞典 写真;国土交通省空中写真閲覧サービス)